okiami1983のブログ

クオリティーが低い記事はあとで書き直します。。

地方都市の科学館から、指定管理者制度を考える その2

指定管理者制度の問題を考える、の2回目 素人による運営で広がる体験格差 です。

地方都市の科学館って、こどもだましでつまらないですよね。学習・教育面に力を入れている自治体と手を抜いている自治体で、驚くほど体験格差が広がってます。地方行政の怠慢で知らず知らずのうちに施設の質が悪くなっています。他と比較してみなければ気づかないことですが非常に重要なことです、すこし考えてみましょう。

 

首都圏の科学館を観に行ったことはありますか?

まだ足を運ばれたことのない方、お子さんつれて是非とも観に行ってください。大型の科学館ならどこでもよいです。

私は年に数回、首都圏のミュージアムに足を運んでおります。首都圏は文化施設が乱立しており、それぞれの施設が切磋琢磨して魅力的な企画を行っています。

 そういった所があることを知ってしまうと、ステレオタイプな企画運営をしている地方の科学館にお金を払う価値はないな、と思ってしまうわけです。

 

体験の格差による不利益

比較してはじめて気づく質の善し悪しですから、アート作品の好き嫌のような個人的な感じ方の違いとして割り切って済ましてしまうという考え方もあるでしょう。しかし、もう一歩踏み込んで体験の格差による利益、不利益という観点で考えると、また別の話になってきます。

私が体験の格差で特に不利益を被ることになっていると思うのは、将来の仕事について考えはじめた年齢のお子さんです。

自分がどんな職業が向いているのかは、実際に自身でさまざまな体験をしなければわかりません。将来の可能性を広げるためには、たくさん経験して自分に合うかあわないか気づいてもらうしかないのです。

 

首都圏であれば多様な文化が醸成されており、すこし行動する気になれば最新の体験をすることや最新の考え方に触れる機会がすぐに得られます。(インターネット普及によって住む地域による「情報」の格差が無くなったのは確かですが、体験の格差までは解消されておりません) 

たとえば、首都圏で3Dプリンタを使ったワークショップやプログラミングのワークショップは今どき珍しいことではありません。

 

 科学館は美術館ではない

しかしその一方、地方都市の科学館では未就学児童向けのアピールとして紙やペットボトルを使う工作に力を入れていたりするわけです。

老朽化している施設でも寄ってくる児童をメインターゲットにして遊び場を提供することで少ない予算で楽に集客しようという安易な発想なのかどうかはわかりません。しかし、こういった「科学館でなくても提供できるコンテンツ」をアピールして集客せざるを得ない苦しい現状から推測できることは、専門的な知識をもった人間がおらず、少し手の込んだことになると企画できない状態になっていることの現れでしょう。

管理者側にコンテンツ開発能力が無いとはいいつつも科学館っぽいことをしないわけにはいかないので、そのあたりを外注で済ませようとしているようですが、ラーメンのわからない人にラーメン屋の経営はできません。

 過去に購入(もちろん税金を使って)した高価な機材も使い方がわからないため有効活用されることなくバックヤードの保管された状態、宝の持ち腐れになっています。

 

肝心の条例は当たり前のように無視されている

こういった事態を防ぐために条例があります。条例には施設の設置目的(つまりは税金を投入する根拠)が定められており、たとえば神戸市立青少年科学館条例には科学館として研究活動を行わなければいけないことが定められておりますが、現在の指定管理者には研究活動している形跡がなく、堂々と条例を無視している状況です。そして更に神戸市自体がこの状況を容認しており、結果として管理運営の成果やノウハウはどこにも蓄積されず、指定管理者が入れ替わる度に建物の基礎工事の学習からはじめなければならないのです。主な原因は神戸市のPDCAサイクルが機能していないことですが、結果としてなんだかよくわからない用途に税金が使われています。これは次回以降に触れます。

 

既に科学館として体をなしていない状態になり、本来は来るべき層が寄りつかなくなっていますが、本当にこんな状態で良いのでしょうか。。